呂おじいちゃん-本名【呂先廉】-は、海南省文昌市昇谷坡村の村人でした。1939年に海南省錦山陳で生まれ、1958年にハンセン病を患い村に住み始め、1976年12月に完治しました。人生の大半の時間を昇谷坡村ですごし、2014年8月25日に帰らぬ人となりました。
彼との思い出を、【蔡冠平】という一人のキャンパーが振り返り、文章にしました。
<目次>
1.村で起きた小さな出来事
2.あなたは病気になりました
3.初めて行ったあなたの家
4.別れ
2.あなたは病気になりました
2014年7月の夏ワークキャンプは、不遇にも40年ぶりの台風と重なったため、私たちは“村人と一緒に散らかった木の枝を一生懸命片づける”ワークに追われました。村を離れる2日前になって、私はあなたがこの数日間ずっと、いつも座っているピンク色の椅子に寄りかかって、じっと縮こまっていたのを知りました。体調のすぐれないあなたを見に行くと、あなたは「胃の持病だ」と言いました。とても苦しそうに眉にしわを寄せ、ほぼ一日中娯楽室の椅子にもたれ、いつものお気に入りだった日蔭の場所にも行けないほどでした。私は心配でたまらなくなって、医学を学んできたという村の看護師さんに、これはどうしたことか、いつ病院に連れて行ってくれるのか、責任を持って彼を病院に連れて行って、検査をしてきてほしい、と迫りました。あの時あんなに焦ったのはきっと、毎年村人が1人ずつ亡くなっていくのを見ていたから、不安になったんだと思います。次に村に来たとき、あなたがあの椅子に座っている姿をもう見られないんじゃないかと思い、とても怖くなりました。だからその後、村であなたを見るたびに、病院に行くようにと何度も催促しました。でもあなたは、甥っ子が台風で壊れた家を直したら一緒に病院へ着いてきてくれるから、それまで検査を待つんだと言って聞きませんでした。
2014年の7月30日になって、あなたはやっと検査へ行きました。結果は、胃癌でした。一緒に病院に行ったのは、村の看護師さんは、あなたの病気が癌だと分かった時、直接事実を伝える勇気がありませんでした。あなたが受け止めきれないんじゃないかと思って、病室で待つあなたに会いに行くのが嫌だったそうです。その後看護師さんは電話であなたの甥っ子を呼び、事情を話しました。甥っ子が病室についてからも、どう切り出せばいいか躊躇している様子を見て、あなたは何かがおかしい、と悟りました。そして直接病名を尋ねました。あなたの甥っ子は、「胃癌だ」と答えました。あなたは、しばらく黙ってから言いました。「治らん、家に帰る。」と。そして、甥子さんと一緒に荷物をまとめると---といっても数枚の洋服しかなかったけれど---そのまま家に帰っていきました。
それからしばらく経った2014年8月2日、あなたが一人のキャンパーにかけた間違い電話がきっかけで、私はそのキャンパーからよくない知らせを聞きました。彼が何か聞き違えたに違いないと思って、私は半信半疑ですぐ村の看護師さんに電話を掛けました。そして、それが間違いではないことが分かりました。あなたの癌は腸を始め、体のいたるところに転移していたこと、発見が遅れたためにすでに末期の状態で、もってあと3か月の命だということ!聞いたとき、私の父親が死んだと宣告された時と同じようなショックを受けました。父が死んだとき、私は気付くと涙を流していました。動揺と緊張で全身が麻痺したような感覚に包まれて、言葉も出ませんでした。ずっと黙って、ベッドで冷たくなっていく父に寄り添っていました。
2014年のその時も、私はしばらく呆然としてから、やっと少し平常心を取り戻しました。
そして、私はあなたに電話をかけました。検査の結果はどうだったの?と聞いた時のあなたの様子を今も覚えてきます。絶望とやるせなさ、それでいて私には理解できないくらい落ち着き払っていました。あなたはこう言いました。「冠平や、わしはもう、長く生きられないんだよ」。私はどう答えたらいいのか、まったく分かりませんでした。ただただ涙をこらえて、鼻をすすっていました。あなたは、他の村人には看病を頼めないから、田舎に帰って甥っ子に面倒を見てもらう、と言いました。私は甥っ子について何か聞いたような気がしますが、よく覚えていません。それから私は、あなたに会いに行く、と言いました。あなたは、来なくていい、来てどうするんだ、大体道も分からないのに、、、と言いました。あなたの言葉から、来てほしくない、でも本当は来てほしい、そんな矛盾した気持ちを感じました。その時は具体的な時間は決めず、行く前にまた連絡するとだけ伝えて電話を切りました。
その時から、私の心はずっと霧に覆われたように曇っていました。
8月4日の夜、突然知らない番号から電話がかかってきました。いぶかしく思いながら「…もしもし」と電話を取ると、電話の相手はとても親切で明るい海南の方言で話し始めました。「冠平かい?私は伯父の“呂兄さん”の甥なんだがね。」…私は「あ、はい、おじさん、、こんにちは」と答えるのが精一杯でした。電話の彼は、錦山にある実家に私たちが来ると聞いた、明日人を迎えによこすから、何人来るのか教えてほしい、と話しました。…彼の熱心で親切な様子から、多少不安と緊張はほぐれましたが、それでも私はやっぱり緊張していました。村人の本当の家に行くのはこれが初めてだったし、あなたの家族に会うことに、少なからずの不安を抱えていました…。
(次回、「3.初めて行ったあなたの家」に続く)