呂おじいちゃん-本名【呂先廉】-は、海南省文昌市昇谷坡村の村人でした。1939年に海南省錦山陳で生まれ、1958年にハンセン病を患い村に住み始め、1976年12月に完治しました。人生の大半の時間を昇谷坡村ですごし、2014年8月25日に帰らぬ人となりました。
彼との思い出を、【蔡冠平】という一人のキャンパーが振り返り、文章にしました。
<目次>
1.村で起きた小さな出来事
2.あなたは病気になりました
3.初めて行ったあなたの家
4.別れ
1.村で起きた小さな出来事
私が初めてあなたに会ったのは、2013年の1月、初めてキャンプに参加したときでした。初めて会ったあなたを見て、私は急に自分のお父さんを思い出しました。高尚で、近づきがたい雰囲気でした。でも、知り合ってみたあなたは、実はそうではありませんでした。誰に対しても決して笑顔を絶やさず、そして誰よりも誠実な笑顔を向けて、そして私にも、例外なくその笑顔を見せてくれました。だから私はあなたと一緒にいるのが好きで、海南の方言で冗談を言ってふざけ合うのが大好きでした。
他の人と同じように、私たちの一緒にいる時間はそれほど長くありませんでした。いつもあなたはあのピンクの椅子の上で、手にタバコをくゆらせて、村の入り口を眺めて私たちを待っていました。一度、椅子を並べて一緒に同じ方向を見ながら、「何を見てるの?」とあなたに聞きました。あなたは笑って「なんでもないよ」と答えました。その後何も言わなかったけど、あなたのその表情は確かに「なにかあり」ました。でも、そんな調子だから、結局続けて聞くことができませんでした。
2014年2月のキャンプで、私はワークリーダーを務めました。他のキャンパーと一緒に村に入らず、運転手さんとセメントや砂を運んで村に行きました。村に入ってすぐ、遠くの方であなたと村長が経っているのが見えました。私を見てすぐあなたは、今回お前来ないかと思ったぞ、と。私は、買い物に行ってきたんだよ、と。あなたは、分かった、という顔をして笑いました。私のブレスレットに気付いたあなたは、それを手に取って、これどうしたんだ?と聞きました。私は、お父さんがくれたのよ、と答えました。その後話をしけれど、あなたの目はずっとそのブレスレットを見ていました。何を言えばいいか分からないけれど、なんだか気持ちが辛くなって、こんな雰囲気はすこし居心地が悪かった。だから、友達と一緒にいて起きた話をしました。あなたは歯を見せて大きな声で笑ってた。あの日の笑顔と、幸せな気持ちを、今も覚えています。
その時のキャンプは、旧正月の後に開催されました。だからおしゃべりしている時、あなたは、今年の鶏はよく肥えていたか?と聞きました。私は、そうでもないよ、と答えました。そして、私たち家族がどうやって鶏を分けて食べたかを説明しました。我が家では、お兄ちゃんがぼんじり、妹が手羽先、といったように、鶏肉の部位は予約制。私は鶏の手の部分が一番好き。それを聞いてあなたは、鶏の手を食べるやつの字は汚いぞ、と言いました。確かに、私の書く字はとても汚いので、、それからずっと、字をきれいに書く練習をしています。
それからいつだったか忘れたけれど、あなたはこっそり私に鶏肉を分けてくれました。みんなには内緒だぞ、全員の分はないからな、って。私はこっそり、でもすごくうれしい気持ちで食べました。だっていつもは絶対こんなことしてくれないから。キャンパー同士で不平等が起きないようにすごく気遣っているあなただから。あの時のあなたの“こっそり”はずいぶんと大胆な行動で、思い出すと一人で笑ってしまいます。
私たちがワークをするときは、いつも一緒に外に出て、ワークの仕方を考えてくれました。あなたの影がとても暖かかったです。
キャンプ中毎日2人のキャンパーが外に買い物に行く役目で、一緒に来てくれるのは村長かあなたでした。一度私が買い物係になった日、私たちはまだ日が出始める時間に村を出発しました。買い物に向かうためにあなたの三輪車に乗るのが好き。椅子はぼろぼろで、穴が開いていたけれど。私のわくわくしているのが伝わってか、あなたも何となく、楽しさを抑えられないような様子でした。でも、運転はとても頼りがいがあった。この旅行はまるで、二人で秘密を持っているみたいでした。まるで、おてんばなお父さんと娘みたい。私が後ろに座るとき、私がそこから落ちるんじゃないかと心配して、いつも椅子の上に分厚い分厚い紙を敷いてくれました。しっかり前を見て真剣に運転している後姿を見ていると、本当にお父さんを見ているみたいで、心があったかくなりました。
(次回、「2.あなたは病気になりました」に続く)