「キャンプに行ったら、村人の家を訪れて欲しい。ちゃんと話を聞いて欲しい。」

セブン(謝韵)は初めてハンセン病回復村を訪れた時、正直、貧しいなと思った。村人の中には手足の変形した人や、目の見えない人もいる。行く前から想像はしていたが、そんなに後遺症がひどいとは思わなかった。彼女の訪れたのは藤橋村、電気も水道もある。しかし携帯電話は使えない。 「外と連絡が取れなくて、周りにはキャンパーと村人しかいなくて、まるで別の世界にきたみたいだった。」
村での仕事は、夏に家が暑くならないように二階の屋根にレンガを敷くこと。今までにしたことのないような力仕事だったが、他のキャンパーが働くときは本気で働き、遊ぶときは本気で遊ぶのを見て、自分もそれに習う。
「キャンプの仲間は戦友と同じ。今でも時々会って、お互い応援しあってるの。一緒にいるとほっとするし、キャンプでみんなに会えて前より幸せになった。」
仕事の途中で、何人かで村人の家へ話をしに行く。藤橋村には以前もキャンパーが来ていたが、村人の話を聞きに行く人はいなかった。村人にとって、その村に来て初めての体験。誰かが自分の話を聞きに来てくれる。そこで彼らはたくさんの話をし、思いを共有した。感動した。
「すごく泣いた。その時から、村から離れられなくなったと思う。村人の悲しい思い出に泣くんじゃなくて、彼らの勇気とか、やさしさに触れて泣くんだよ。」
体のこと、お金のこと、家族のこと、そして孤独。色んなものをたくさん背負っている村人なのに、誰に聞いても、満足している、と答える。
「どうしてか、みんな前向きだった。」
雨漏りのしない家に住んで、毎日食事が出来て、政府もお金をくれるから。
「自分の生活と比べて、自分は満足してないなって思った。もともと恵まれてるのに色んなものを欲しがって、だから楽しく暮らせないの。こんなやさしい人に、何かしてあげたい。また来たい、って思った。」
その後、セブンは3回キャンプに参加する。自分達が楽しいだけではなく、その楽しさ、活気を、村人と分かち合えるのがうれしい。夏の誕生日も、いつもみんなで祝う。だが、彼女は自分がハンセン病回復村でボランティアをしていることを、どうしても両親に切り出せなかった。
「行くなって言われるのが恐かったんだ。中国は昔からハンセン病に対する差別が強かったから、古い年代の親は理解してくれないかもしれない。でも、いとこには伝えたの。ハンセン病がどういうものなのか分かれば、恐いことなんて何もないのにね。」
親の目に付きそうな所にJIAのパンフレットや、村で撮った写真などをわざと置いてみたりする。だが、やはり直接伝える勇気は出ない。
「多分、知ってると思うんだけどね。」
大学を卒業後も、時間を見つけてワークキャンプを裏から支えている。
「これからもずっと関わっていきたいと思う。何か悲しいことがあっても、村のことを思い出すんだ。どこかで私のことを待ってる人がいると思うから、大変なことがあってもまた頑張れる。村の人はね、私たちが帰るその日から、また戻ってくる日を待ってるんだよ。」
セブンにとって、ワークキャンプとは何か。
「ボランティアじゃないな。助けたんじゃなくて助けられた。だから勝手に村に行って、楽しんで、また自分の世界に戻って生活はしたくない。私たちがいなくなって、村の人は今まではなかった悲しい気持ちになるでしょ。自分が楽しむだけじゃなくて、ちゃんと責任を持って、村人を大事に考えてあげたいと思う。」