周家嶺村(ハンセン病快復村)は、1957年に湖南省邵陽市新寧県回龍寺鎮に建てられた。その当時から半世紀以上の間、この村の存在を知る人はほとんどいなかった。村は静寂を打ったような静けさで、湖南省の地図にも載らない、まるで失われた遺跡のような場所だった。70、80年代になって、ハンセン病に有効な治療法が見つかり、ハンセン病患者は快復者となった。けれど、社会からの差別が続いたために、彼らはそのまま村での生活を余儀なくされ、ハンセン村は快復村と名を改めた。
2009年2月、JIAの桂林地区の3名の学生と、日本のフレンズ国際ワークキャンプ(FIWC,
Friends International Work Camp)九州委員会の1名のキャンパーが、この村でワークキャンプの下見を行った。その時から現在まで、清明節、端午の節句、国慶節、中秋節、夏休み、冬休みと、中国の休日のたびに、学生キャンパーが村を訪れている。訪問を重ねるにつれ、学生と村人の関係はどんどん親密になっていった。今では、学生は村を訪れるときに村の手前の小山から大声で「おじいちゃん、おばあちゃん、帰ってきたよ!」と叫ぶ。村を出るときには、小山の手前でいつも止まって、「また帰ってくるね!」と叫ぶ。
2014年3月、この村の徐金蓮ばあちゃんが亡くなった。翌日の夜には10数名ものキャンパーが村に駆けつけ、徐ばあちゃんの最期を見送った。
除金蓮のハンセン病後遺症は重く、右手の腕は腫れあがり、指の神経は使えなくなっていた。また、胃と腸が弱く、始終頭痛も抱えていた。2012年4月に転んでからは痛風を患い、その後回復してきたものの、足の痛みをずっと引きずっていた。耳も良く聞こえなかった。生前は王じいちゃんと助け合い、仲睦まじく暮らしていた。
除ばあちゃんと村の思い出を、学生キャンパーが記録に残していた。
「除ばあちゃんの部屋を掃除してあげようと思ったら、初めとても嫌がって、何度も説得してやっと許してくれた。掃除中に部屋が埃だらけなので外に出るようにと言っても、決して部屋を離れなかった。後になって、彼女は私たちが物を盗むのを恐れていたことに気付いた。」---2009年8月
「中秋節の夜、村人とパーティーをして、一緒に孔明灯(紙で作られた熱気球)を天に放った。村人はその晩大興奮して、眠ることができなかった。私たちは彼らの早寝早起きの習慣をやっと破ったようだ。」---2009年10月
「心と心の交流は、いつも相手を信頼することから始まる。除ばあちゃんが泣いた。私たちの心は揺さぶられ、心が痛んだ。言っていることを全て聞き取れないけれど、交流に支障はない。徐ばあちゃんの話を静かに聞いて、時々うなずいて、微笑む。温かくて、心地いい。徐ばあちゃんは以前右手を骨折して、腕の関節が肥大している。だから手を使いづらい。最近不注意で転んで両足を怪我してからは、動きが更に不便だ。
唐医師がおばあちゃんの膝に注射をした。とても痛そうだ。ばあちゃんは、怪我をした子供みたいに泣き始めた。辛そうで、私たちの心も痛んだ。心を痛めながら、彼女の涙を拭き、膝をさすってあげた。王じいちゃんは、その横でじっと徐ばあちゃんを見ていた。目には、辛さと、やりきれない想いが現れていた。」---2012年5月
「みんなで集合写真を撮った。除ばあちゃんはわざわざ部屋に戻って、持っている服の中でも新しめの、きれいな服に着替えてきた。」---2012年10月
「あの日、王じいちゃんの家に行ったときのことを一生忘れられない。門を押して部屋に入ると、一面が灰、鶏の糞。昔来たときあんなにきれいだった部屋との違いが鮮明だった。王じいちゃんは私を見ると、ぽろぽろ涙を流した。ベットに横たわる徐ばあちゃんも泣き出した。心が痛い。苦しい。この数日間、二人はずっとこんな風に過ごしていたんだろうか?必死に涙をこらえて見た徐ばあちゃんは、前よりずっと痩せていた。王じいちゃんも。学生みんなで簡単に部屋を掃除した。王じいちゃんは一生懸命、ゆっくりと、徐ばあちゃんに水を飲ませてあげていた。それを見て突然、王じいちゃん変わったな、と思った。昔は気付かなかっただけかもしれないけれど、前よりずっと強く、大黒柱のような雰囲気があった。初めて来たばかりのころは口数も少なくて、キャンパーが話しているばかりだった。今は、彼が沢山話すようになった。ご飯も作ってくれるようになった。後遺症のある彼にとって難しいこともたくさんあるけれど、それでも黙々と、徐ばあちゃんを暖めてあげている。彼らを見て、“手をつなぎ、共に老いる”ということわざを思い出した。苦労しながら努力する彼の姿に感動した。
徐ばあちゃんの体調は思いのほか良かったけれど、横たわって呻く姿を見ると心が痛んだ。特に、食べ物を食べさせてあげるとき、注意しないと喉に詰まらせてしまう。小さく砕いた薬、一口一口のゼリー、こんな小さい食べ物なのに、食べるたびに何度も咳き込んでいる。
その日寄り添っていると、突然おばあちゃんが、爪を切って、と言った。また、涙を抑えられなくなった。きっと、冬来たときに私が爪を切ってあげたのを覚えていたんだろう。もし私が来なかったら、いったい次に誰が、彼女のために爪を切ってあげたんだろう。どうしてこの間村にキャンパーが来たとき、誰もこのことを思い出さなかったんだろう。それに徐ばあちゃんの目やに、王じいちゃんの手では拭いてあげるのも不便だ…。ずいぶん経ってからやっと、徐ばあちゃんは目を閉じて眠った。彼女は弱っていて、ほんの小さな音でもすぐ目を覚ましてしまう」---2012年11月
「徐ばあちゃんは、よく人に頼るお年寄りだ。僕たちが来るのを見ると、家へ呼んで、あれをして、これをしてと頼んでくる。でも僕はそんな彼女が好きだ。たくさんのことを学べるから。彼女は、他の人に「若いね、きれいだね」と言われるのが好きだ。女子キャンパーが彼女の頭を洗ってあげたり、新しい服を着させてあげた時、満面の笑顔が彼女の答えだ。それから、おばあちゃんは“客引き”がうまい。彼女の家で酒を飲むのに誘われて、僕は逃げられた試しがない!薪割を手伝ってあげている時の笑顔を、ずっと忘れることができない。それからその時、彼女がもっと大きい木の幹を抱えて来て、これも切れる?と言ったとき。…そりゃ僕は小さいけど、力は十分あるよ!笑
今回、徐ばあちゃんはよく笑っていた。何本の歯がないかも、一目でわかるくらい。でも、どうしてばあちゃんの歯がこんなにないのかは、僕には分からない。今回キャンプで忙しくて、あまり話をする時間がなかったけれど、会うと王じいちゃんに背中を向けて、こっそり僕のタバコを吸っていた。ニヤッと笑って、タバコを吸う嬉しそうな顔。その時うっかりタバコでズボンに穴を空けちゃって、王じいちゃんにばれないように焦げた部分を図柄みたいにもっと大きく焦がしているあの表情、本当に面白かった。」---2013年7月