2003年入学したてのころ、自分の専攻であるソーシャルワークは、中国大陸にまだ存在していない職業だと知った。そのときも今でも、大陸のソーシャルワーカーはまだ明確な社会的位置づけがなく、多くの人はこれがひとつの職業だということも知らない。授業で使う教材の大多数は外国からの翻訳で、事例研究は基本的にすべてが国外のものだ。社会的サービスを専門に行うきちんとした団体はシンセン以南にしか見当たらない。自分の専攻を理解するために、ぼくは何かこの専攻と関係のある道を探し始めた。何かを実践しながら専攻に対する理解を深めたいと思った。
2003年9月、軍事訓練が終わったころ、ひとりの先輩が準備した講座に出た。ワークキャンプという活動の紹介を見たのはこれが初めてだった。そして、10月の国慶節の休みに広東省清遠市ヤンカン村のミニキャンプに参加した。これがワークキャンプとの初めての出会いだった。
2004年の春節(旧正月)のあと、ぼくにとって初めての大型ワークキャンプに参加した。長期間にわたって外国人に接し、いっしょに何かをやるというのも初めてだった。このワークキャンプには10名の中国のボランティアがいたが、その中で「もっとも経験を持っていた」のがぼくだったが、ただ一回ミニキャンプに参加したことのあるだけの一年坊主だった。それなのに、中国側の責任者にされてしまった。一週間のワークキャンプ中、外国のキャンパーたちの素質によって次々と触発されていった:毎晩のミーティング、韓国のキャンパーたちの規律正しさ、誰かが発言しているとき他のキャンパーたちが一心に耳を傾ける姿、明らかな意見の食い違いがあってもその人が発言を終えるのを待ってそれから話し合う姿勢。それに対して、中国のボランティアたちは随意に発言し、彼がしゃべって彼女もしゃべって、会議はいつもそのような勝手な発言によって中断された。
ワークキャンプが始まる前、村に着くまで中国のキャンパーはワークキャンプや快復村のことをまったく知らなかった。村に着いて渡されたワークキャンプのハンドブックもすべて韓国のキャンパーが韓国語からひとつ一つ中国語に訳したものだ。しかも、そのハンドブックには毎日の食事のメニューまでが詳細に書かれていた。
村人とのパーティーでは、自分のプログラムがないとき、韓国のキャンパーは村人のところに自ら歩み寄ってマッサージをしたり、言葉も通じないのに村人と話したりしていた。しかし中国のキャンパーはみなステージの近くでパーティーのプログラムを楽しんでいるか、もしくはキャンパー同士でだべっていた。
韓国から持ってきた100着の服を村人に贈った。
ワークキャンプの準備のため、韓国では毎週1回以上のミーティングを開いた。
ワークキャンプに参加するために、韓国で2ヶ月以上バイトした。
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何もかも、何もかも。それに比べて、中国のボランティアたちは、みな心があるからキャンプに参加しているのだけれども、それでも意識的に、無意識に、韓国のキャンパーとの違いが大きすぎる!中国と韓国の違いはこんな細かいところから始まっているのだろうか?中国人のキャンプはこの程度のレベルなのか?快復村は中国にある。快復者は中国人だ。ぼくたちはもっときちんとやらないといけないのではないだろうか?ぼくたちはもっときちんとできるのではないだろうか?
そして、ぼくは失望の中から希望を見出した:ぼくは自らの努力を尽くして韓国人の素質と精神を中国に取り込みたい。中国にも中国のワークキャンプをつくりたい。中国のワークキャンプがよりよくなるようにしたい。そのために、ぼく自身も成長しなければならない!
このワークキャンプ以後、ぼくはワークキャンプを続け、ワークキャンプのための何かをすることに力をっ注ぎ込んだ。
あのころぼくは、ワークキャンプに参加するためにキャンプに参加していた。ワークキャンプにより多くの人が参加できるようにキャンプに参加していた。より多くの人が寄り多くのいいキャンプをつくれるように、より多くの人がより多くのよりよい中国のキャンプに参加できるように、ワークキャンプに参加していた。ぼくはわがままだったと思う。というのも、ぼくの目的はただ中国のワークキャンプをよくすることだったから。
その後、ぼくは日本のボランティアとの共催のワークキャンプに参加した。
このワークキャンプで、ぼくはワークキャンプのもうひとつの側面を感じ取った:ぼくたちがキャンプに行くことは、どちらの国のボランティアが優れているかの競争のためではない。ワークを成功裏に完成させられるかでもない。ぼくたちがキャンプに行くのは、村人のためであり、村人がいるからぼくたちは行くんだ!日本のボランティアは村人の日常生活を妨げないという前提のもと、ちょっとの暇さえあれば村人と積極的にからむ。言葉の違いがあるけれど、一緒にタバコを吸ったり、酒を飲んだり、筆談をしたりして、彼らは時間をゆっくり使って村人の周囲で過ごす。
韓国のワークキャンプの全面的に綿密な計画性に対して、日本のキャンプの特徴は村人とのからみを重視することにある。日本のキャンパーはあらゆる機会を使って村人とからみ、村人とより深いからみを創り出すように努力する。いつも何人かの中国のキャンパーが言うのを聞く:「村人との交流は無理だよ!彼らの言葉がまったくわからないんだから」。しかし、外国のキャンパーを例にとれば、彼ら中国のキャンパーは言葉の障壁があるからからめないというわけだけではなく、からむ努力をそれほどしていないといえる。ワークキャンプのボランティアは学校の単位にもならないし、学校の政治任務の仕事をした証明にもならない。みんなで村に行っても、ただ自分の単位のためもしくはワークを完成するだけのためならば、それはほんとに浅はかでしかない…。
今に至るまで、キャンプを始めたころに描いていたソーシャルワークへの理解という目的はどんどんどんどんぼくから離れていく。しかし、ぼくはもう一つ別のところ、ぼくが行きたいところにどんどんどんどん近づいている感覚がある。