JIA×MSekko企業キャンプに参加して
6月、JIAは広東省韶関村で企業ワークキャンプを開催し、13人の参加者、3人の学生ボランティアが村を訪れました。参加した学生が何を見て、触れて、感じて、吸収したのかを、彼の感想からご紹介します。
プロジェクト---大掃除
掃除はすごく楽しい。すぐに成果が出て、ウキウキする。でも、今回の窓ガラス拭きには全く惹かれなかった。窓に少しくらい埃がかかってもいいじゃないか。そこに力を使うより、村人ともっと話をしたい。そこで、村人、参加者とお喋りをしながら窓を磨くことにした。すると皆だんだん、喋るのが楽しくなってきた。村人も同じ気持ちで、窓や椅子の汚れより、僕たちの事の方が気になってきた。そこで僕たちは、完全にお喋りモードに突入した。窓や椅子はそこまで大切じゃない。僕たちと村人をつなぐ道具だ。
プロジェクト---薪集め
僕は場の雰囲気を盛り上げるのが好きだ。薪を載せる荷押し車を見たら、急に楽しくなってきた。車に燕如を載せて押しながら、こんなに喜ぶ燕如を初めて見たと思った。太陽の真下で活動しているのに、皆離れがたいような気持ちで一緒に頑張って作業をした。スイカを僕のところまで持って来てくれた敦明兄さんを見て、“俺たちはチームだ”と心から思った。
薪を集めていると、あるおばあちゃんがこういった。「もうそろそろ、おしまいでいいよ。来週も学生が来るから、彼らにも薪を残してあげて」。少し不思議に思ったが、後々考えて、このおばあちゃんへの尊敬と感動の念が生まれた。
村人たちは、僕たちが「村人を助ける」気持ちで村に来ていることを知っている。だから、村ですることがないと僕らが拍子抜けしてしまうこと、村人たちとおしゃべりするだけでは単調に感じてしまうことを知っている。だからきっと、そう言ったんだろう。
それにしても一体、僕らは村人を助けているのか?それとも、村人が僕らを助けているのか?この村が僕らの注目や関心を必要としているのか、それとも、僕らが村人たちの包容力と受け入れを必要としているのか?
僕らはいかに人を助けるかを考えているが、どうやら、村のそれぞれの人たちから僕らが学ぶべきところがあるようだ。
夜更かし
夜のミーティングが終わってから、外の石テーブルにみんなで集まり、ろうそくを付けて話をした。昼間の作業も大変だったのに、翌日は7時起きなのに、そのまま2時過ぎまで話をしていた。(翌日も元気だったけれど。)まだ、話したりなかった。何を話したかは良く覚えていない。沈黙、笑い、感動、感嘆は覚えている。夜更かしして話をして、皆との距離が縮まった。皆、一番自分らしい一面を垣間見せてくれた。クールな三木、気まずい小怪獣、頼もしい涛兄、細やかな暈街と恩媽、優しい阿登、物静かな令顔と燕如、話を聞く馬姉…。
村人---廖おばあちゃん
廖おばあちゃんが熱中症にかかった。村で電波を受信できる数少ない携帯の持ち主として(これは一抹の誇りでもある)、おばあちゃんの息子に電話した。でも、おばあちゃんは日常の話をするばかり。体の不調のことも、村が暑いから扇風機が必要なことも言わない。昔、このおばあちゃんに学生が扇風機や布団、やかんをあげたことがあったが、おばあちゃんはすべて家族にあげてしまった。
いいものを家族にあげたいと思う、これは愛だと思う。でも、自身は生活状態が決して良くなく、熱中症にまでかかっている。この愛は自分を傷つけてはいないか。まずは自分が満たされて、それから家族を愛することを考えた方がいいのではないか?それとも、今の自分はよりも、家族に愛を与える機会を優先するべきなのか…?
村人---梁おばあちゃん
梁おばあちゃんの旦那さんが亡くなった。おばあちゃんはずっと泣いていた。悲しみに暮れて、体の調子も悪いようだ。この時の彼女に性別は関係なく、老人でも、ハンセン病快復者でもなかった。彼女の過去、現在、未来、全ては重要でないようだった。この瞬間、彼女は伴侶を失ってただただ傷ついた人だった。そして何より、彼女は自分の愛する人を失った。こんなに長いこと生活を共にして、朝も夜も話したり笑ったりした人を失うということは、一体どんな気持ちなんだろうか。
僕は、これからどうやって生きていこうかと考える。どんな道を、どうやって歩いて行こう?自分と世界は、どう関係していくんだろう?僕と他の誰かの関係は、どうなっていくんだろう?人との関係がどう壊れて、保持して、修復して、維持して、もしくは続いていくんだろう?
今はまだ良く分からない。明日分かるかもしれない。もしかすると、一生をかけて探し続けるのかもしれない。“The answer is blowin' in the wind.”