2015年5月29日、広東省河源市龍川村の彭伯(彭おじいさん)が享年88歳で亡くなりました。
多くの学生が彼との別れを惜しみ、別れの言葉を送っています。今日は、その中の一部をご紹介します。
「あなたに教えてもらったことをずっと忘れません。正しいことは正しい、正しくないことは正しくない;やりたいならやればいい、やらなくていいことはしなくていい。一度も、昔の話はしてくれなかったですね。辛いことが沢山あっただろうに、いつもあなたは笑っていました。数十年経って、やっと故郷に帰れる。ゆっくり休んでください。私たちも、元気にやっていきますから、安心して。」
「いつも、次また会えると思っていました。でも、この人生であなたに会えたことだけで、自分は本当に強運の持ち主だったと思います。」
「こんなにたくさん泣いたのはいつぶりのことか、分かりません。突然すぎた。自分が弱すぎるのかもしれない。また次にいつ村に帰って話が出来るか楽しみにしていたのに、最後の機会を逃してしまいました。また前みたいに日本語を教えてほしいし、もう一度笑顔が見たいし、私の名前を呼んでもらいたいし、うれしそうな笑い声を聞きたいし…、でも、私の頭の中でしか、それはもう見ることができないんですね。自分がこんな時に、違う場所で泣くことしかできないなんて、なんて弱いんだろうとも思いました。でも、違うと思う。きっと、向こうの世界もいいところで、もう苦しみもないし、楽しく過ごせていると思います。たくさんのことを教えてくれてありがとう。あなたの明るさは私にしっかり感染しました。温かさと愛を分けてくれて、ありがとう。そちらでもお元気で。」
「初めて村に行ったときにあなたの歌がうまいと褒めたら、2回目には私に歌を教えてくれましたね。私は全然覚えられなかったけれど…。3回目に村から帰る前に荷物を片づけている時、『片づけなくていいよ。次に来る時に運んでこなくていいように、部屋に置いておいてあげる。』と言ってくれましたね。今は、元気ですか?空の上で自由に本を読んで、いつもみたいに悠々と歩いて、おいしいご飯を食べているでしょうか。きっと、元気にやっていることと思います。私たちみんな、元気です。」
「毎回、次があると思っていました。本当は写真を現像して、次回渡すつもりだったのに、それももう必要なくなってしまいました。私の覚えているあなたは、いつも楽観的でした。客家出身の私に、地元の歌を歌ってくれとよく言いました。村の中で一番素直なのも、あなたでした。亡くなったと聞いて、まだぼんやりしています。もう二度と会えないけれど、天国でも幸せに過ごしていることを祈っています。」
「村に帰るたびに、おじいちゃんたちの様子が少しずつ変わっていて、いつかいなくなってしまうんじゃないかと怖かった。5月に行ったとき、彭伯の体調が冬より少し良くなっていたと思っていたけれど、どうしてもう町に買い物に行かなくなったのかまでは考えていなかった。今になって、あの山を1時間かけて越える体力はもうできなかったのが、やっとわかった。」
「いい男を見分けるにはコツがあるから、彼氏が出来たら連れてこい、と言っていましたね。夫婦の付き合い方も、教えてくれました。でも突然、突然逝ってしまった。心がとてもとても痛いです。涙が止まらないです。彭伯、彭伯、あなたの笑顔が好きです。あなたの入れてくれるお茶が好き、本当に本当に、とても好きです。もう天国についたかもしれない。排除も差別も、拒絶もない世界に行って、きっとすごくうれしいんじゃないかな。彭伯、さようなら。私たちを家族のように愛してくれて、ありがとう。」
「あなたの残りの人生を、私たちと一緒に過ごしてくれてありがとう。これまでたくさんのことを経験してきたのに、生活に対する愛をずっと持っていました。強く生き抜いているあなたの一つ一つの目くばせや、笑顔、もう見ることはないけれど、私たちの心の中からは永遠に消えることがありません。」
「彭伯、ありがとう。落花生をありがとう。飲み物をくれてありがとう。たくさんのことを教えてくれてありがとう。愛をくれて、ありがとう。ありがとう。あなたが龍川村の上に輝く星になって、私たちのことを上から見守ってくれたらうれしいです。」
学生にとって、彭伯は単なる快復者ではなく、良き友であり、そしてかけ離れることのできない家族でした。
ワークキャンプでは、たくさんの物語、感情が生まれます。村人との別れもその一つです。
彭伯、どうぞ安らかに。