中国、ハンセン病、差別との戦いの人生、ハンセン病快復村でワークキャンプを行う同世代の中国学生達、伝え繋げていくことの大切さ、ワークキャンプで世界を救おうとしている人、人の優しさと残酷さ、そして今まで気付きもしなかった自分自身のこと、、、。今キャンプで私は多くの物事に出逢い、知った。ここには書き尽くせないので、直接私と話をしてほしい。私も話したい。ただ一番心に残っていることだけはここに書かせてもらう。それは“死”についてだ。
高明村のとある家に、ちょうど退院して病院から帰ってきたおじいちゃんがいた。そのおじいちゃんは元々とても明るくて、村の中でもいつもみんなの中心でニコニコしているような方だったそうだ。しかし、お金がないために手術もできず、薬も買えず、家に帰ってくるしかなく、家に帰ってずっとベッドの上で過ごしていた。病気で足が痛すぎて、眠れず飲食さえも困難な状況で、「つらい、痛い」とひたすらに涙を流していた。おじいちゃんを目の前にして私は何もできなくて、おじいちゃんの家の前で立ちすくんでいた。そんな時に、まさこさん(JIA事務局職員)がこんなことを言っていた。「ここにいる村人たちはつらい過去を乗り越えて、それでも生きることを選んだ人達なのだ。(かつては、ハンセン病と分かった時点で終わりを告げるようなものだったから、ハンセン病患者は自殺する人が多かったようだ。)それでも生きてきた人達が今、隣にいる村人、そのおじいちゃんだ。今、村人たちは私たちと笑顔で接してくれているけど、どこかで“生や死”を間近に感じて生きてきたのだろう。」死をすぐ近くに感じて、怖くて涙を流していたのだろうか?おじいちゃんは今何を考えているのだろう?話しかけても返事をくれない、何もわからない。ただひたすらに私も涙が止まらなくて泣いていた。おじいちゃん家の前で、ずっと泣いていた。
その日の夜、おじいちゃんの足の痛み止めが10元(200円程度)で買えると聞いた。痛み止め自体は病気を治せるわけではなく、その場限りの痛みを鎮めるだけのものだが、目の前で苦しんでいるおじいちゃんを見ていたら、痛み止めを買ってあげたかった、少しでも楽になってほしいと思った。私が日本で一回のコーヒーを我慢したら払える金額で、おじいちゃんの足の痛みが引くならと。まさこさんにその事を相談すると、「JIAは一切の医療関係には関わらないことにしている。交流に絞って、割り切って活動している。なぜなら、後々のことを考えると、いつまで薬を買い続けてあげるの、だったら手術費を出してほしい、、と大きな金銭問題につながってきたり、無駄な期待をさせてしまったりするからだ。更に、1人の村人に特別にお金を渡すことはできない、他の村人のことを考えると特別扱いはしてはいけないのだ。」間違えてない、正論だ。私が一生その村の面倒を見られるわけでも、医療費を払えるわけでもない。客観的に見れば正しい判断だろうと思う。しかし、目の前におじいちゃんがいる。一対一の関係になった時、どうしても感情が溢れてきて、理論理屈がじれったくなって、とても苦しかった。
心が苦しいまま、何もできない私は毎日そのおじいちゃんの家に通い続けた。それしかできなかった。唯一できることがそれだった。
1か月後、おじいちゃんが亡くなったと連絡がありました。
私は普段生活していて“死”と遭遇することはほとんどない。しかし、人が死ぬのはごく自然で当然なこと。ましてやハンセン病快復村は高齢者ばかりで、ハンセン病だからとかではなく、歳をとって死を迎えるというのが当たり前に起きている場所。私はその場所に訪れた。そして、たまたま病気で苦しむおじいちゃんと出会った。
目の前で苦しむおじいちゃんに薬を買ってあげなかった私は薄情者でしょうか。もし、あなたがその場にいたらどうしていましたか。私は「死を目の前に不安で涙を流している人の横で一緒にいる。誰かの人生の最後の時間に、同じ時間を共有する。」という答えを選びました。これはチャイナキャンプだから、ハンセン病快復村だからじゃなくて、日本でも、身の回りでも起きうる当たり前のことでしょう。あなたにとって大切な人、あなたのことを大切に思ってくれている人と一緒に過ごせる時間を大切にしてほしいです。そして、私は中国のハンセン病快復村に、ハンセン病や差別と闘い続けてきたおじいちゃんが確かに生きていたということを忘れません。