今年の清明節、私は甘じいちゃんに会いに行った。
紙銭を燃やし、その光を見ている間だけ、私はじいちゃんに会うことができた。じいちゃんはよく小さい椅子に座って、足を開いて、ぷかぷかとタバコの煙を鼻から吸ったり吐いたりしていた。2本の煙の柱が空気に散っていった。そして私たちに、“わし、怒った水牛に見えんか?”と聞いた。
2013年の冬、初めて旱冲快復村に行って、キャンパーのために雨除けをつけてくれるじいちゃんと初めて出逢った。雨は激しく、持ち上げるのが大変そうだった。じいちゃんを心配して手を離させようとするキャンパーに、じいちゃんは怒って“わしは年寄りじゃない、お前は来んでいい!”と怒鳴った。じいちゃんの第一印象は、強情。だから、怒らせるのが怖くて初めは近づけなかった。何度か村に行くようになると、じいちゃんは強情なだけでなく、かわいくて優しい人だと分かってきた。だから近づいてふざけたりからかったりするのも怖くなくなった。私が村に行くとじいちゃんはいつも、“お前誰だ。来る学生が多すぎて名前を忘れた。”と言うけれど、後から来たキャンパーに、“あいつか、3回だぞ。”と言ったのを私はちゃんと聞いている。
甘じいちゃんにとって、私たちはいつになっても小さな子供で、私たちにとってじいちゃんはいつでも私たちを可愛がってくれる、本当のおじいちゃんのような存在だ。ある時、私たちが夕食を食べていると、隣に来たじいちゃんが突然、“全部野菜じゃないか、可哀そうに…”と言って、ぷいと向こうを向いた。その眼は少し赤くなっていて、心を痛めているようだった。次の日、じいちゃんは私たちに100元渡し、“これで肉を買ってこい、チャーシューと魚2匹だ。”と言った。“そんなにたくさん肉を買ってどうするの?”と聞くと、じいちゃんは“買ってこいと言うものを買ってくればいい!とやかく聞くな!”と怒鳴った。言われた肉を買って帰ってくると、じいちゃんは自分のためにチャーシュー少し取り分けて、残りの肉を全部私たちにくれた。その日の晩は私たちが村に行って一番の豪華な晩餐となった。ただ、そんなことがあったせいで、その後私たちはキャンプ前に買う肉の量を節約できなくなった。だからキャンプ中、沢山肉が食べられる。
2014年の夏キャンプで、私たち何人かはじいちゃんのところで食事をした。ふと、カレンダーの一角に印がつけられているのを目にした私は、食事の後で、“あれは何の日?”と聞いた。じいちゃんは急に真っ赤になって、めんどくさそうに“全く!”と言いながら外へタバコを吸いに行った。私のこんな一言で、どうしてそんな大きなリアクションをするのか、その時は全く解せなかった。そこでもう一度じっくりカレンダーの日を見ると、それは私たちが村を離れる日だった。突然、2日前にじいちゃんに、私たちが何日に村を出るのか聞かれたのを思い出した。忘れないように、ちゃんと記録していたんだよね、甘じいちゃん?そんなじいちゃんは心の中でこっそり、私たちが次にいつ村へ来るかも数えてくれていたのかな?甘じいちゃん、ねえ、甘じいちゃん。
甘じいちゃんは、昔私たちを薪集めや、筍堀りにつれていってくれた。旱冲から近くの鎮に帰るまでの数時間の山道も、いつも一緒についてきてくれた。私はてっきり、じいちゃんがこうしてずっとしゃんとして、私たちに寄り添ってくれるものだと思っていたよ。でも、じいちゃんは病気で、だんだんと弱っていった。
2014年になると、じいちゃんは痩せて、歩くのも精一杯になった。もう私たちを筍堀りに連れていったり、花冠をつくってくれたりすることもなくなったし、厨房で食事の作り方を教えてくれることもなくなった。夜は早々に門を閉めて、一緒に火を囲んでお喋りすることもなくなった。甘じいちゃんはその時、痛くてベットに横になっていた。大好きだったタバコもお酒もやめて、ご飯も食べられなくなって、ほんの少しお粥をすするだけになった。すごく痛いって私たちに言うくらいだったから、そりゃあ仕方がなかった。肝臓がんは次第にじいちゃんを、骨と皮にしていった。寝るのは早かったけれど、毎日寝られるのはほんの3-4時間だと言っていた。少しずつ弱っていくじいちゃんを見て、私は何もできなかった。家の前に座って、静かに見ていることしかできなかった。
9月になって、私は何故だか急に村に行ってじいちゃんに会いたくなった。中秋節のミニキャンプに申し込んで、じいちゃんの元へ帰った。私たちはじいちゃんの家でご飯を食べた。家に入ってきた私たちを見て、じいちゃんは嬉しそうだった。そして、“お前たちが入って来なかったら、わしはとっくに死んでたよ。”と言った。
そして3日後、じいちゃんは亡くなった。
予想していなかったわけじゃない。でも、数日まで一緒に笑ってご飯を食べていた人が突然いなくなる。これは一体どういうことだろう。甘じいちゃん、本当はじいちゃんの最後を見送りたかった。でも結局できなかった。そのことが、今でも私の大きな心残りです。
甘じいちゃん、あっという間に、じいちゃんが私たちを離れて2年近くが経ってしまったよ。今でもよく、じいちゃんのことを思い出す。あんなに私たちを思ってくれたじいちゃんは、今も私たちの心の中にちゃんと残っている。