2016年4月16日朝、6時半に起床し、同僚との活動集合場所へ向かった。
道中は、今回の活動への期待でいっぱいだった。張り切って出発したため、予定の集合時間より45分も早く到着してしまった。今回の参加者8名のうち、1名は現地集合とのことで、僕たち(3名の中国人、5名の日本人)は定刻に車に乗り込んだ。
車内では、今回の活動の流れと自己紹介、活動の目的についてのオリエンテーションがあった。参加する人たちはそれぞれ異なる情熱を持っていると感じた。参加数回目の人もいたが、全体の交流はとても自然だった。
途中で昼食と買い物を済ませ、目的地の<泗安医院>へと向かった。周りの家がだんだんと少なくなり、50mほどの橋を渡ったところで―まるで島のようだと感じた―泗安医院に到着した。たくさん買い込んだ食料を運ぼうとしていると、一人のおばあちゃんが三輪車でこちらに向かってきた。名前も知らないのに、なんだかとても懐かしい感じがした。僕たちは握手をして、おばあちゃんは、荷物を三輪車に載せなさいと言ってくれた。とても有難いと思った。
泗安医院は居心地のいいところだった。四方を水と木々に囲まれ、とてもすがすがしかった。泗安医院の中にある博物館に向かう途中で、ちょうど同じ日に来ていたボランティアの人たちが、村人と一緒に歌ったり、踊ったりしているのを目にした。中には、村人の爪を切ってあげている人、おしゃべりしている人、マッサージしている人もいた。村人はとてもうれしそうで、ボランティアがまるで彼らの子供か、家族のように溶け込んでいた。
泗安医院には、並々ならない熱意を注いでハンセン病快復者の生活用具を集めている博物館館長がいると聞いていた。博物館に入ってみると、確かにものすごくたくさんのものがあった。全て快復者が使っていたもので、かれこれ600以上収集したそうだ。あるものは現代社会からすでに忘れ去られ、中にはどんな使われ方をしていたかも分からない道具もあった。けれど、館長はその道具一つ一つについて、使っていた快復者の事、彼らの背景のことを話してくれた。1日や2日で集められるようなものではない。今まで彼の積み重ねてきた努力と功績が、こうして1つの博物館になったのだ。館長が展示物の説明をするとき、彼の中に自信と信念を感じた。館長の人生にとって、この博物館はとても誇り高いことであるのを実感した。
泗安医院には、おおよそ70名の快復者が生活している。彼らは50-90歳で、話をすると泗安での生活に満足していると言っていた。村では1日3食の食事が提供され、週末にはボランティアが快復者に会いに来る。ハンセン病に対する差別のために泗安医院に住むことを余儀なくされた彼らだが、必ずしも孤独や寂しさを感じているのではないことが分かった。
現代社会において、僕たちがハンセン病を発病する確率は皆無に等しい。それでも、多くの人がハンセン病は恐ろしい伝染病であるという誤解をしている。今回のJIAの活動は、ハンセン病は治癒可能な病気であることを証明してくれた。僕は、このことを他の人に伝えていきたい。
一昔前まで、ハンセン病を患った人は差別され、憎まれ、排除されてきた。僕たちが村を訪れることは、彼らに対する償いであるのかもしれない。彼らが、社会の温かさと優しさを少しでも感じて信じてくれること、僕たちの行動が、彼らの心の中の怒りを鎮める力になることを願う。
この活動は、他人を助けるだけでなく、その過程で自分自身も社会の温かさを感じることが出来るものだった。行動を通して、関わったすべての人々に影響を与え、自分自身の何かに貢献したいという意識を高めてくれた。
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次回の社会人体験キャンプは、2016年7月16日、17日です。
ご興味のある方は、どうぞお問い合わせください!